「回答」ではなく「問題」を見つけること
山口周さんのツイートに以下のようなものがあった。
僕はいろんなところで「正解のコモディティ化が起こっている」と言っていますが、では「正解に価値がないのなら、これから何に価値があるのですか」と聞かれれば、それは「問題」ということになります。
この「問題」を定義する、ということについて自分の仕事に当てはまることがあるのではないか、と感じた。
私はソフトウェアのサポートエンジニアなのだが、サポートの仕事して、ソフトウェアに関する問い合わせに対して「回答」「解決策」を提示して顧客の持つ問題・課題を解決、そして満足させることが仕事として重要となる。
そのため、どうしても陥りがちなのが顧客の問い合わせに対して、素敵かつ技術的に十分な「回答」を作り出そうとしてしまう。
しかしたまに以下のようなことが起きる時がある。
問い合わせはネット経由で行われるため、顧客も文章で質問をまとめてくれたりする。
その顧客が質問した内容(文面)を自分なりに解釈して回答を提示した時に
「自分が期待していたものと違う」
と言われて低評価をもらったりすることもある。
これは顧客の質問を文面だけで判断して、その裏にある「意図」を汲み取れてない時によく起こる。これは質問内容を見た時に、その時点で素敵かつ技術的な「回答」を思いついてしまうことがある時に、よく起こる。
そして低評価をもらった直後は、慎重になるため、顧客の質問に対して文面だけでクリアにならない場合には、自分の言葉で顧客に確認することがあるが、これが冗長な作業なようで重要である時がある。
というのも、顧客も質問を上げる際に実は顧客自身が確認したい内容を明確に言語化できていないこともがあるためだ。
これは自分の経験則で考えると、自分が理解している(と思われる)内容を、いざ文章にしようとすると途端に難しくなるということがある。顧客も同じで自分が考えている課題は理解している(はずだ)が、それを他人に説明しようとすると、明確に表現できないことがあるのでは、と思っている。
明確に言語化できていない状態で質問の文面を作成し、それをサポートエンジニアが見た時、その文面通りに解釈・理解をすると、あとで「自分の期待した回答ではない」と言われる。
これを防ぐために、自分の言葉に変換して同じ内容を聞きなおすことがある。
仮に顧客が明確に言語化できないままで、問い合わせを行い、顧客の質問の「意図」を正確に把握できないと、(顧客にとって)的はずれな回答を提示したりしてしまう。また調べる範囲が絞れずに時間ばかりがかかることもあるかもしれない。その場合は生産性は悪いし、ストレスも溜まる。
しかし、顧客の質問の「意図」を正確に把握するまで繰り返し質問返しすることがある。これは同じ内容を言い換えて再質問することだ。顧客がうんざりすることもあるかもしれないが、意図を把握さえできれば、調べる点は一挙に絞られるため作業は楽になるし、少なくとも的外れの回答とはならないはずだ。
それに質問内容さえ正確に把握できていれば、何も自分が回答を見つけなくても他の人が見つければ良いかもしれない。実際そうしたほうが生産性も良くなるだろう。
このような確認事項の作業は冗長な作業かもしれない。しかし、顧客の質問の意図や背景を正確に理解しないと的外れの回答を提示し、これが余計な作業となり、自分と顧客双方にストレスを与える結果となる。
私の仕事における、この「冗長」な作業が、「問題」を定義することなのでは、と感じる。