大学を卒業して就職した会社での仕事の話とその後

自分が大学を卒業する時代は、まだ終身雇用が一般的で一度就職(就社)したら、その会社で勤め上げるものとばかり思い込んで仕事をしていた。この「思い込み」が、自分が就職した会社で約3年間何が正解なのか?という悶々とした日々を招いたと思う。
当時就職した会社は、仕事が厳しい営業職であり、自分の感覚ではあるが努力しても報われないことの方が多かった。たまに運良く契約を取れるとしばらく(1週間ほど)は遊んでいても特に問題はなく、これが営業の醍醐味とは思うが、営業職は期ごとに達成したら、その次の日から次の期の達成目標に目指さなければならない、と上司に言われ続け、心休まることがなかった。


また、成績(結果)が出せない時は、自分が何をやっても正当化されることはなく、先輩や上司からは、努力が足りない、成績を出している先輩社員のやり方をそっくりそのまま真似しろ、と強制されたものだ。その真似するスタイルが自分のスタイルとは違う、という論理は通じず「性格を変えろ」とまで言われた。実際に、成績を出している先輩社員のやり方(それこそ喋り方や声の出し方)をすると、少しは効果があったのは事実だ。しかし所詮、自分はその先輩社員ではないので、性格的にその真似を継続して続けることはできず、結局自分のスタイルに戻ってしまう。そして成績がまたでなくなる。また真似しろと言われる、の負のループに入る。


このようなことを繰り返していると自分には営業職は向いていないのではないか、いやいや向いてないからもっと努力しなければいけないのではないか、それこそ自分の性格を変えなければいけないのではないか、と自問自答を繰り返していた。これも一度就職したら何があっても勤め上げるものだ、という「思い込み」がベースになっていたと思う。


しかし、このようなことを3年近く続けたある日の朝、自分の目の前の光景(朝は営業部員全員で成約を取るために一斉に電話をかけるという光景)を見ながら、奇跡的に自分を客観視することができ、3年後のこの会社の自分が全く想像できなくなってしまい、その瞬間からどうにかして辞めなければならない、と思いたち、なんとか2ヶ月後には退職することができた。
ただし、退職が決まってからの2ヶ月は、上司先輩から毎日のように嫌がらせをうけ、当時の部長からは「契約が取れないから辞めるのか?それは負け犬の考え方だ」というようなことを言われた。しかし「ここに残り続けたほうが負け犬になる」と思っており、それらの嫌がらせを堪え、なんとか退職できた。


退職した日は、「明日から電話でのアポ取りをしなくてもいいんだ」という清々しい気持ちで辞めれていた。ただ後遺症というか、しばらくは夢で当時の上司が登場して「明日から(会社)復帰な」と言われて、戦慄して、目が覚めて、夢でよかった、ということが続いた。(これは次の就職が決まるまで続いた)


退職後、しばらく休んでから次の就職先は漠然とIT系の仕事を目指そうと考えていた。しかし営業職は自分には向かないが、自分の経歴は営業職しかないのでは、という「思い込み」も手伝って、ソフトウェア開発販売系の営業職という切り口で就職先を探した。その中で営業職としての採用だったが、自社ソフトのスキルがないと売れないから、という理由で最初の半年間はサポート職として採用された。この時に顧客に対してソフトウェアをインストールして納入したり、使い方を教えたりというインストラクターのような仕事をしていたのだが、これが自分に向いているのでは、と思い始めていた。


前職での営業職で経験した自分の違和感は、営業に関しては運の要素が強いのではと思っていたことだ。成約が取れない日々が続き、運良く契約が取れた時は当時の上司からは「努力をしたから報われたのだ」という精神論のような話をされたことがある。当時の上司は電話をかける件数が多かったから成約が取れたのだ、という話をしていたが、1日に百何十件も電話をかけても成約を取れない時期があり、その時は「努力が足りない」という、「努力」という抽象的なことや、「必ず決めてやるという強い気持ちが足りない」という精神論を言われて責められた。今思えば、営業にしてもクロージングする一定の方法論があるはずだが、そのようなスキルの習得をすることはなく強い気持ちを全面に出せ、ということを新人時代によく言われていた。


一方、サポート職(インストラクター職)は、自社のソフトウェアの内容を知らなければ、顧客に製品を納入することも教えることもできないが、ソフトウェアをよく知っていれば、極端な話、寝不足の状態でも顧客に教えることもできる。つまりスキルの習得といった勉強の「努力」が、そのまま仕事に直結したことが、自分には向いているのでは、と思い、頑張れたと思っている。


そして今の自分があると思っている。