宇宙人と遭遇するのは難しい、と物理を少し学んで思ってしまった

小さい頃から宇宙の話が好きだった。

といっても小さい頃は、難しい話はよくわからないので、例えばベテルギウスは太陽の何倍の大きさだ、とか、シリウスは太陽の約2倍の大きさ何光年離れているとか、といった程度の理解だった。

 

最近になって、SF小説を探していたら、たまたまサイモン・シンの『宇宙創生』(上・下)が気になり、買って読んでみた。SF小説かな?と思ったら古代から現代までの天文学者が、宇宙の謎を解き明かしていくという物語だった。

この物語では説明のためにいくつかの数学的な話や物理学の知識などが登場する。学生の頃から数学と物理とは無縁だったのだが、好きな宇宙の話であったため、わからない数学や物理の話が出てくると、他の本やネットで調べて自分なりに理解して本を読んでいった。例えばアインシュタインが提唱した「光速を超えることはできない」という普遍的な話は、前まではなんとなくは知っていたが、実際に関連した本などをみて、それなりに自分なりに理解してみた。

 

子供の頃、宇宙はとてつもなく巨大である、ということは知っていたので、つい最近まで宇宙人はこの広い宇宙のどこかには存在するだろうな、と思っていた。そして、その宇宙人が現在の人類の叡智を超える技術を持っていて、宇宙船で地球に飛来するのもそのうちあるのではないか、と思っていた。

 

ただ、『宇宙創生』を読み進めていくうちに、また入門編ではあるが物理学の本や物理学者が著書の宇宙の本(『宇宙に「終わり」はあるのか 最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで』)を読んでいくうちに、この宇宙の中で人類以外の知的生物(宇宙人)に遭遇するのは、皆無なのでは?と思ってきた。

 

自分なりに思った理由は、、まず生物(知的生物ではなく原始生物)は、恒星系のハビタブルゾーン(生物が誕生・生存するのに適した環境エリア)という存在や、そのゾーンに岩石惑星が存在し、かつ惑星の地表面に水が存在する、という条件があって初めて誕生しうる可能性がある。しかも、生物が誕生し少なくとも人類のような知的生物に進化するのには、何十億年もの時間がかかる、ということは地球が誕生して46億年経過した現在人類が存在していることによって証明されている。

つまり、広大な宇宙にもかかわらず非常に難しい条件を満たした環境が存在し、かつ知的生物に進化するまでに人間の尺度では理解できないほどの長い時間を要するのである。

地球に近い環境の惑星が見つかれば、もしかしたら原始生物(微生物など)ぐらいは見つかるかもしれない。しかし知的生物となると途端に見つけるのが難しくなりそうだ、と容易に想像できる。

 

さらに、宇宙の広さもこの「未知との遭遇」を困難にしている。

例えば太陽系に最も近い構成であるプロキシマ・ケンタウリまでの距離が 4.234光年である(約40兆536億キロ)。仮に秒速70キロの宇宙船で地球を飛び出して、プロキシマ・ケンタウリに到着するのに約18000年かかるのである。光速に近い速度を出せる宇宙船でさえ4年以上かかるのである。

 

昔の「宇宙戦艦ヤマト」では14万8千光年先にあるイスカンダルへの旅だったが、ワープ航法で現実的な時間で地球に帰ってくることができていた。仮に知的生命体がワープ航法技術を持っていたりすれば、地球に到達することもあるかもしれない。

 

しかし、入門編レベルの物理的な知識を理解しただけで、「ああ、、とてもじゃないけど無理だ・・」と思ってしまった。

 

はっきり言って宇宙の広さをなめていた。。

 

「回答」ではなく「問題」を見つけること

山口周さんのツイートに以下のようなものがあった。

 

僕はいろんなところで「正解のコモディティ化が起こっている」と言っていますが、では「正解に価値がないのなら、これから何に価値があるのですか」と聞かれれば、それは「問題」ということになります。

 

この「問題」を定義する、ということについて自分の仕事に当てはまることがあるのではないか、と感じた。

 

私はソフトウェアのサポートエンジニアなのだが、サポートの仕事して、ソフトウェアに関する問い合わせに対して「回答」「解決策」を提示して顧客の持つ問題・課題を解決、そして満足させることが仕事として重要となる。

そのため、どうしても陥りがちなのが顧客の問い合わせに対して、素敵かつ技術的に十分な「回答」を作り出そうとしてしまう。

 

しかしたまに以下のようなことが起きる時がある。

問い合わせはネット経由で行われるため、顧客も文章で質問をまとめてくれたりする。

その顧客が質問した内容(文面)を自分なりに解釈して回答を提示した時に

 

「自分が期待していたものと違う」

 

と言われて低評価をもらったりすることもある。

これは顧客の質問を文面だけで判断して、その裏にある「意図」を汲み取れてない時によく起こる。これは質問内容を見た時に、その時点で素敵かつ技術的な「回答」を思いついてしまうことがある時に、よく起こる。

 

そして低評価をもらった直後は、慎重になるため、顧客の質問に対して文面だけでクリアにならない場合には、自分の言葉で顧客に確認することがあるが、これが冗長な作業なようで重要である時がある。

 

というのも、顧客も質問を上げる際に実は顧客自身が確認したい内容を明確に言語化できていないこともがあるためだ。

これは自分の経験則で考えると、自分が理解している(と思われる)内容を、いざ文章にしようとすると途端に難しくなるということがある。顧客も同じで自分が考えている課題は理解している(はずだ)が、それを他人に説明しようとすると、明確に表現できないことがあるのでは、と思っている。

明確に言語化できていない状態で質問の文面を作成し、それをサポートエンジニアが見た時、その文面通りに解釈・理解をすると、あとで「自分の期待した回答ではない」と言われる。

 

これを防ぐために、自分の言葉に変換して同じ内容を聞きなおすことがある。

 

仮に顧客が明確に言語化できないままで、問い合わせを行い、顧客の質問の「意図」を正確に把握できないと、(顧客にとって)的はずれな回答を提示したりしてしまう。また調べる範囲が絞れずに時間ばかりがかかることもあるかもしれない。その場合は生産性は悪いし、ストレスも溜まる。

しかし、顧客の質問の「意図」を正確に把握するまで繰り返し質問返しすることがある。これは同じ内容を言い換えて再質問することだ。顧客がうんざりすることもあるかもしれないが、意図を把握さえできれば、調べる点は一挙に絞られるため作業は楽になるし、少なくとも的外れの回答とはならないはずだ。

それに質問内容さえ正確に把握できていれば、何も自分が回答を見つけなくても他の人が見つければ良いかもしれない。実際そうしたほうが生産性も良くなるだろう。

 

このような確認事項の作業は冗長な作業かもしれない。しかし、顧客の質問の意図や背景を正確に理解しないと的外れの回答を提示し、これが余計な作業となり、自分と顧客双方にストレスを与える結果となる。

 

私の仕事における、この「冗長」な作業が、「問題」を定義することなのでは、と感じる。

 

大学を卒業して就職した会社での仕事の話とその後

自分が大学を卒業する時代は、まだ終身雇用が一般的で一度就職(就社)したら、その会社で勤め上げるものとばかり思い込んで仕事をしていた。この「思い込み」が、自分が就職した会社で約3年間何が正解なのか?という悶々とした日々を招いたと思う。
当時就職した会社は、仕事が厳しい営業職であり、自分の感覚ではあるが努力しても報われないことの方が多かった。たまに運良く契約を取れるとしばらく(1週間ほど)は遊んでいても特に問題はなく、これが営業の醍醐味とは思うが、営業職は期ごとに達成したら、その次の日から次の期の達成目標に目指さなければならない、と上司に言われ続け、心休まることがなかった。


また、成績(結果)が出せない時は、自分が何をやっても正当化されることはなく、先輩や上司からは、努力が足りない、成績を出している先輩社員のやり方をそっくりそのまま真似しろ、と強制されたものだ。その真似するスタイルが自分のスタイルとは違う、という論理は通じず「性格を変えろ」とまで言われた。実際に、成績を出している先輩社員のやり方(それこそ喋り方や声の出し方)をすると、少しは効果があったのは事実だ。しかし所詮、自分はその先輩社員ではないので、性格的にその真似を継続して続けることはできず、結局自分のスタイルに戻ってしまう。そして成績がまたでなくなる。また真似しろと言われる、の負のループに入る。


このようなことを繰り返していると自分には営業職は向いていないのではないか、いやいや向いてないからもっと努力しなければいけないのではないか、それこそ自分の性格を変えなければいけないのではないか、と自問自答を繰り返していた。これも一度就職したら何があっても勤め上げるものだ、という「思い込み」がベースになっていたと思う。


しかし、このようなことを3年近く続けたある日の朝、自分の目の前の光景(朝は営業部員全員で成約を取るために一斉に電話をかけるという光景)を見ながら、奇跡的に自分を客観視することができ、3年後のこの会社の自分が全く想像できなくなってしまい、その瞬間からどうにかして辞めなければならない、と思いたち、なんとか2ヶ月後には退職することができた。
ただし、退職が決まってからの2ヶ月は、上司先輩から毎日のように嫌がらせをうけ、当時の部長からは「契約が取れないから辞めるのか?それは負け犬の考え方だ」というようなことを言われた。しかし「ここに残り続けたほうが負け犬になる」と思っており、それらの嫌がらせを堪え、なんとか退職できた。


退職した日は、「明日から電話でのアポ取りをしなくてもいいんだ」という清々しい気持ちで辞めれていた。ただ後遺症というか、しばらくは夢で当時の上司が登場して「明日から(会社)復帰な」と言われて、戦慄して、目が覚めて、夢でよかった、ということが続いた。(これは次の就職が決まるまで続いた)


退職後、しばらく休んでから次の就職先は漠然とIT系の仕事を目指そうと考えていた。しかし営業職は自分には向かないが、自分の経歴は営業職しかないのでは、という「思い込み」も手伝って、ソフトウェア開発販売系の営業職という切り口で就職先を探した。その中で営業職としての採用だったが、自社ソフトのスキルがないと売れないから、という理由で最初の半年間はサポート職として採用された。この時に顧客に対してソフトウェアをインストールして納入したり、使い方を教えたりというインストラクターのような仕事をしていたのだが、これが自分に向いているのでは、と思い始めていた。


前職での営業職で経験した自分の違和感は、営業に関しては運の要素が強いのではと思っていたことだ。成約が取れない日々が続き、運良く契約が取れた時は当時の上司からは「努力をしたから報われたのだ」という精神論のような話をされたことがある。当時の上司は電話をかける件数が多かったから成約が取れたのだ、という話をしていたが、1日に百何十件も電話をかけても成約を取れない時期があり、その時は「努力が足りない」という、「努力」という抽象的なことや、「必ず決めてやるという強い気持ちが足りない」という精神論を言われて責められた。今思えば、営業にしてもクロージングする一定の方法論があるはずだが、そのようなスキルの習得をすることはなく強い気持ちを全面に出せ、ということを新人時代によく言われていた。


一方、サポート職(インストラクター職)は、自社のソフトウェアの内容を知らなければ、顧客に製品を納入することも教えることもできないが、ソフトウェアをよく知っていれば、極端な話、寝不足の状態でも顧客に教えることもできる。つまりスキルの習得といった勉強の「努力」が、そのまま仕事に直結したことが、自分には向いているのでは、と思い、頑張れたと思っている。


そして今の自分があると思っている。